古希3ブログ

エカワ珈琲店とその周辺の出来事、エカワ珈琲店オーナーの思い付き、などなどの記事をエントリーしています。

昭和31年「もはや戦後ではない」から、昭和33年の「テレビが我が家にやって来た」まで

「もはや戦後ではない」は、昭和31年の経済白書に使われていた言葉で、当時の流行語です。

日本の社会には貧しさが蔓延していたのですが、何となく、未来に光が見え始めていた時代だったのだと思います。

昭和33年、エカワ家にテレビがやって来たわけですから・・・。 

東京懐かしの昭和30年代散歩地図

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その昭和31年、日本の映画業界は「我が世の春」を謳歌していたのだと思います。

映画製作を再開した日活による俳優引き抜きを封じる目的で、東宝・松竹・東映・大映・新東宝の5社が、「邦画5社協定」と呼ばれる協定を結びました。

その後、無名の俳優を起用した日活アクション映画が大ヒットして、日活対策の必要性が無くなって、日活も参加する「6社協定」となったのですが、昭和36年に新東宝が倒産して、再び「5社協定」となったと伝えられています。

 

昭和30年代の前半は、長距離交通の手段は列車だけで、朝早く東京を出発して、大阪到着が夕方という時代で、キップの購入や座席取りは難事業で、通路やデッキにまで人が座り込んでいて、冷房は無くて、天井に大きな扇風機が回っていたそうです。

昭和31年、東海道全線が電化されて、2年後の昭和33年には電車が走っています。

 

クレージー・ケンバンドの曲に、1960年代をテーマにした「長者町ブルース」というのがあります。

昭和31年当時、その横浜市長者町にあったイタリアンレストランのメニューでは、コーヒー1杯が50円、カレー1皿が100円となっています。 

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昭和32年9月、大阪市の京阪本線千林駅前商店街に、後に日本一の小売業者となる『主婦の店ダイエー』がオープンしました。

ダイエーの出現によって、日本にスーパーマーケット時代の幕が開いたわけですが、初期のスーパーマーケットの売り物は、商品の値段の安さでした。

薄利多売という、当時としては革新的な技術を駆使することで、その後、スーパーマーケット業界は急成長して行きました。

 

昭和30年代、デパートの屋上遊園地などに行くと、ジュースの噴水が見える自動販売機が置かれていました。

星崎電機の創業者が、アメリカ視察で知った「ウォータークーラー」にヒントを得て、昭和32年5月に完成させたのが、この噴水ジュース自動販売機です。

透明な容器の中で、オレンジ色のジュースが噴出していて、『10円噴水ジュース』と呼ばれて、爆発的な人気を得ていました。

 

昭和33年(1958年)の5月頃、その時代、まだまだ珍しかったテレビ受像機が、我が家に突然やって来ました。

エカワ家は喫茶店を営んでいたので、テレビが我が家にやって来たその日から、夜(閉店後)は、近所の人でごった返していました。

昼間もまた、テレビを見にくるお客さんで、ごった返していました。

 

昭和33年の視聴率ランキングは、①スーパーマン②プロ野球日本シリーズ③おトラさん④私の秘密⑤サーカスボーイ⑥名犬リンチンチン⑦お笑い3人組⑧ダイヤル110番⑨月光仮面⑩名犬ラッシーとなっています。