66歳ですが、年金だけでは・・・

公的年金だけでは食べて行けないので、老骨に鞭打って・・・

 

 

若者たちの反乱(昭和44年/1969年)

1969年の1月18日から19日にかけて、「東大安田講堂封鎖解除」の模様がテレビで生中継されていました。

その後遺症で、この年、東京大学の入学試験が中止になったわけです。

 

想い出の流行歌 1969年<昭和44年>

想い出の流行歌 1969年<昭和44年>

 

 

東京大学の入学試験など、全く関係のない世界の事だったのですが、何故か、その頃の光景が記憶に残っています。

東大の安田講堂をはじめとして、全国各地の大学で、学生たちによるバリケード封鎖が連鎖反応的に発生しました。

この年(1969年)の秋ともなると、バリケード封鎖の波が高校にも及んで来て、生徒たちによってバリケード封鎖される高校も目立ちはじめました。

 

1960年代の後半、ヨーロッパ、アメリカ、日本と、先進国と呼ばれていた国々では、若者たちの反乱が巻き起こっていました。

この若者たちの反乱の性質ですが、アメリカの場合はベトナム戦争反対だったと思うのですが、ここ日本での若者たちの反乱は、思想的なものではなくて感情的なものが強かったのだと思います。

 

自分たちよりも強いと感じられる何かに対する反抗だったのだと思っています。

当時、エカワ珈琲店の店主は、まだ高校生で傍観者の立場だったわけですが、当時の学校の先生たちに相当な嫌悪感を持っていたので、何となく心情的に共感を覚えたものです。

 

当時の高校の先生たちの中には、教師としての地位を利用して、公務員法を無視して、自分たちの生徒を相手に「学習塾」を営んで、無理やり月謝を払わせている先生も数多くいたのですが、黙認されていたわけです。

その頃の学校の先生たちは、生徒に対しては、今(2017年)では考えられないほどの権力を持っていて、それにプラスして身分は組合と学校という組織に守られていたわけです。

 

この年の春には、カルメンマキの歌う「時には母のない子のように」、はしだのりひことシューベルツの歌う「風」、新谷のり子の歌う「フランシーヌの場合は」、加藤登紀子の歌う「ひとり寝の子守唄」といったフォーク系の歌がヒットしていました。

 

新宿西口地下広場で、5月24日から7月12日までの毎週土曜日夕方、多いときで若者たちが7000人近くも集まって、反戦フォーク集会が開催されていました。

そして、この年の夏、8月15日から17日までの3日間、アメリカのニューヨーク州ウッドストックで、30組以上のロックグループが出演して50万人の観客を集める大規模な音楽祭が開催されました。

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(ウィキペディアより引用)

 

日本での若者たちの反乱ですが、10月の国際反戦デーには、新宿がデモ隊に占拠されだ状態になって騒乱罪が適用されました。

沖縄返還をめぐる佐藤栄作首相の訪米阻止を目的とする11月のデモでは、逮捕者が2000人を数えました。

 

1969年12月27日に実施された衆議院の総選挙で、佐藤栄作首相が圧勝しました。そして、若者たちの反乱は沈静化していったわけです。