古希3ブログ

エカワ珈琲店とその周辺の出来事、エカワ珈琲店オーナーの思い付き、などなどの記事をエントリーしています。

台風20号(2018年8月23日~24日)、30数年ぶりに台風で被害を受けました

2018年8月23日の午後9時30分頃から雨風が強くなって来て、翌日の24日午前2時頃まですごい勢いの強風が吹いていました。 和歌山市が台風の進路の右側に位置していて、店舗(兼住宅)の前に15階建てのマンションが建っているので、台風の強風がよ…

地方都市に住む60代後半のおじさん(おじいさん?)が東京に旅行したいと思う理由

ニューヨークも東京も、世界屈指の観光都市なのだと思います。観光都市東京には、日本中から、世界各地から、数多くの旅行者がやって来ます。 東京にやって来る旅行者たちは、自然の景観やアウトドアスポーツを楽しむのを目的にやって来るわけではありません…

冷こお物語

昭和の時代、関西地方の喫茶店では、「冷たいコーヒー(アイスコーヒー)」を冷こお(レイコー)と呼んでいました。 現在(2018年)、喫茶店・カフェで提供されている「冷たいコーヒー(アイスコーヒー)」は淹れたてを氷で冷やすタイプですが、昭和の時代の冷こ…

幸せな老化、それは、老いて行くことに適応することだと考えています。

若い頃、老人に対して相当な違和感を持っていて、「老いる」ということに恐怖心を抱いていました。 その小生が、2年前に「老人」の仲間入りをしています。 「老人」の仲間入りをして感じたのは、何も恐怖心を覚える必要が無かったということです。 何も恐れ…

和歌山市が発行している老人優待利用券

私(エカワ珈琲店の店主)が暮らす和歌山市は、65歳以上の高齢者になると、希望すれば和歌山市内の一部の公共施設を無料で利用できる「老人優待利用券」を発行してくれます。 我が家の近くで、「老人優待券」を使って徒歩や自転車で気軽に利用できる施設は、…

働く理由にも色々、小生(年老いた珈琲豆焙煎屋)の場合は・・

『お金持ちは、もっとお金持ちになろうとして働き、貧乏人は、生活苦から脱出するために必死になって働く』という考え方があります。 人は、お金儲けのためにだけ働くのであって、自らお金を稼ぐ必要がなければ働かなくなってしまうというわけです。 『お金…

1960年頃の商店街と個人商店

1960年(昭和35年)頃の日本、高度経済成長の前夜で、貧富の差が大きくて、貧乏な人が数多く存在していた時代です。その時代、貧乏な人が自営業を営むのは、資金的な理由からものすごく難しいことでした。 店舗を構えて商売を営めるのは資金的に余裕のあ…

喫茶店とコーヒールンバ

1961年(昭和36年)、西田佐知子が歌う「コーヒールンバ」がヒットして、街中の賑やかな所には必ず喫茶店が存在しているようになって、仕事の前に、仕事の合間に、仕事帰りに喫茶店が利用されるようになりました。

モチベーションが減少すれば商売が疎かになる、零細生業パパママ店の場合は

支払いに追われて、お金の工面ばかりを考えていると、モチベーションが消滅して行きます。 小規模企業や零細生業パパママ店の自己雇用者(自営業者)の場合、お金の工面が原因でモチベーションが減少して行けば、商売(or事業)の衰退、そして、廃業が待っている…

和歌山城周辺の3つの再開発

和歌山市のホームページから引用 和歌山市の中心市街地と言えば、和歌山城周辺だと思います。その和歌山城周辺、お城を基点に半径1.5キロメートルの範囲内で3つの再開発事業が起動しています。 和歌山市役所の近く、お城の前の北汀丁の再開発事業と、南…

なごり雪のメロディーが流れていた1976年

小生、イルカさんの歌う「なごり雪」が大好きです。1回だけ(それも、30年以上前のこと)ですが、イルカさんのコンサートに出かけて行ったこともあります。(小生の地元のコンサート会場でしたが)

「お茶する」場所の変遷

1980年代、「お茶する」といえば、喫茶店でコーヒーを飲むことでした。 待ち合わせに使ったり、時間つぶしの会話の場所に使ったり、昼食やお昼休みの休憩に利用したり、朝食にモーニングサービスを食べたりと、朝から夕方まで便利に喫茶店を利用していた…

珈琲おたくですから、アフリエイトもコーヒーで・・・

ブラックコーヒーやホワイトコーヒー、エスプレッソコーヒーを使ったアレンジコーヒー、冷水で淹れるコールドブリューコーヒー(水出しコーヒー)と、巷には、数多くのコーヒードリンクが溢れています。

紳士服ブランド「ダーバン」のテレビコマーシャルとアランドロン

1970年代、アランドロンが登場する紳士服ブランド「ダーバン」のテレビコマーシャルが頻繁に流れていたのを覚えています。(中身は覚えていませんが)

大河ドラマ「天と地と」を観て、海音寺潮五郎さんの原作を読んだのは昭和44年、高校3年生の時だった

昭和44年の1月~12月の1年間、NHKで放映されていたのですが、観れない週もあったので、それに加えて全体のストーリーも知りたくて、角川文庫版の「天と地と」上下2巻を高校3年生の夏休みに読破したのを記憶しています。